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アーツ&クラフツの住宅からモダニズムへ_ブレーントラスト原稿より2008.05
アーツ&クラフツの住宅からモダニズムへ_ブレーントラスト原稿より

アーツ&クラフツの住宅からモダニズムへ
モリス、ヴォイジー、マッキントッシュ、そしてホフマン、ライト 
 
 20世紀は、住宅の時代と言われるように、アーツ&クラフツは、住宅を中心にした、生活の近代化をめぐる運動である。歴史上かつてこれほどに住宅様式が建築的テーマになった時代はなかろう。
 数年前に、ウイリアム モリス(William Morris, 1834~1896.)が過ごしていたコッツウォルズのケルムスコットマナー(Kelmscott Manor)を訪れた。イングランドの美しい田園風景の小さなケルムスコット村の隅にあり、ひっそりとして、気がつかず通り過ぎてしまいそうな、写真で見て思っていたよりも意外な程小さな住宅であった。それは、1570年代に建築されたファームハウスで、建築のエレメントである正面玄関扉や窓等に格式があり、単なるバナキュラーな田舎住宅で無いことは、一見して理解できた。隣接した小川の流れや緩やかな丘が繋がる木立の森を見て、モリスがなぜここに住まい、好んだか理解できるように思えた。森林の大木に覆われた神が宿る深い森ではなく、草花や小鳥と小動物達、そして神秘さが共存する自然の森で、ピーターラビットの棲む丘のイメージである。ケルムスコットマナーは、風景の中にとけ込み、自然の一部となって存在していた。そして自然と語らい、四季の変化を観察し、そんな日常を愛する平穏な生活を大切にしていたのだろうと想像できた。モリスが求めていた世界が体感的に経験できたと思え、それが、まさしくアーツ&クラフツ運動の根幹に関わる思想だと確信できた。
 モリスの自然回帰としての工芸復興の活動は、ラスキンの思想に基づきながら、それを実践的な行動で示したものであり、そのひとつの具現化として、ハンドプリントの壁紙が制作された。それは、草花、森の木立、小鳥達などを忠実に描きダイレクトに図案化し、森の四季の変化や自然の出来事を表現している。すなわちそのインテリアは、2次元の自然モチーフのモリスの壁紙によって、室内の壁を覆い尽くし、家具は自然材の木目を見せ、床や窓には、植物模様のタペストリーとテキスタイルによるカーテンがあるといったもので、森の風景をそれらの建築エレメントに置き換えて再現し、生活そのものを森で暮らす疑似体験空間としてデザインされている。そんな住空間の環境を極めて手軽にしかも安価で手に入れることができる手法である。このような、モリスの社会と芸術の関わり方や、友人の建築家、フィリップ・ウェブ(Philip S Webb 1831~1915)や画家のバーン・ジョーンズ、ロセッティと共に壁紙や家具を手掛けたモリス・マーシャル・フォークナー商会の設立は、若い建築家やデザイナー達に影響を与え、アーツ&クラフツ運動を生み出していく。そして、アート・ワーカーズ・ギルドの結成、アシュビーのギルド・オブ・ハンドクラフトの設立など、いくつかのグループが結成に至る。
 その後、この工芸復興の思想は、確実に次世代の若いイングランドのアーツ&クラフツの建築家、ヴォイジー(C.F.A.Voysey, 1857〜1941)やマックマード(A.H.Mackmurdo, 1851〜1942)達に受け継がれ、彼らの最大の興味の対象であったし、デザインの拠りどころとなる建築的テーマでもあったと言える。アヴァンギャルドの建築家達は、産業革命後の新たな近代的生活様式に即した新たな工芸や美術の在り方を求め、装飾や建築の論理的根拠と実践的方法を求めていたからである。彼らもまた、住宅設計を中心に、インテリア、家具、壁紙、テキスタイルから生活を取り巻くあらゆるもののデザインを手がけ、イングランドのアーツ&クラフツ運動の全盛を築くのである。
 ヴォイジーの住宅は、当時のゴシックやグリークリバイバルの豊かな装飾が施された新古典様式の時代にあって、これまで脈々と繋がる西欧の歴史様式とは決別し、バナキュラーな形式に着目し、イングランドの素朴な民家住宅に見られるスレートの大屋根やセメントと吹き付けたラフカスト仕上げのありふれた材料を使った実用的な住宅設計であった。ヴォイジーの、まだミスティズムな装飾を含みながらも、この実用主義の建築作法が、後の建築家に受け継がれながらモダニズムの礎となっていったのだろうと想像できる。
 そして、次世代のスコットランドのまだ20代の若きC.R.マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh 1868〜1928)は、この材料の素材感を大切にしたアーツ&クラフツに傾倒して、このヴォイジーに最も影響を受けた建築家でもある。そしてその後は、マッキントッシュが中心となり、グラスゴー美術大学と事務所の同僚であったハーバード・マクネイアー(H.MacNair)、そして、マーガレットとフランシス・マクドナルド姉妹(Margaret+Frances Macdonald)の2人の建築家と2人の女性アーティストの男女混成の4人による“ザ・フォー”(The Four)と呼ばれた創作グループを組織する。彼らは、1898年以降、イングランドのアーツ&クラフツ様式に離反し、 半工業化を進めて素材感を消去した、 白、黒、シルバー色を使ったより抽象感を表現した独創的なグラスゴー派のスタイルを打ち出す。彼らグラスゴー派によって、それまでのアーツ&クラフツに新鮮な息吹を吹き込み、その領域を拡大し、より伝統に拘らないフリースタイルな展開を示す事になった。 
 マッキントッシュが建築家としてその頭角を現わしたのは、グラスゴー美術学校の新校舎の設計コンペである。これまでの建築に対し、機能性により建築の形が決定され、モダニズム建築の礎を確立したと言える。この建築は、中央部で左右二期工事に分かれ、第一期(1897〜99)中央部と西側の、独特の緩やかな曲線のあるアール・ヌーヴォー様式、そして、第二期(1907〜09)東側の幾何学模様のアール・デコ様式が、一つの建築の中に織りなされた作品である。この10年間は、マッキントッシュの最盛期にあたり、自邸であった120 Mains street Flat(1900)や、住宅の秀作となった、ヒル・ハウス、そして、ウィロー・ティー・ルームなど一連の代表作が作られた時期でもある。
 中でもヒル・ハウス(Hill House 1902〜04)は、20世紀モダニズムを代表する住宅のひとつである。ヴォイジーと同様に実用性を求め、スコットランド地方の伝統的な民家様式である、素朴なスコティッシュ・バロニアルスタイルにもとづき、マッキントッシュの特性である幾何学抽象性とを取り合わせたデザインであった。このヒル・ハウスは、グラスゴー市内から20マイル程離れた汽車で1時間足らずの新興の田園住宅地であったヘレンズバラ(Helensburgh)に計画され、自然の広がるクライド河口の美しい景観を望む小高い丘のうえに建つ。その平面は、方位は異なるがP.ウェブによる、モリスの住宅であるレッド・ハウス(Red House 1859)、そして、レザビーやヴォイジーの住宅に度々見られるように南面に面して住居部があり、東側にはサービス部を設け、90度折れた機能性に重点を置いた逆L型のプランである。それは、開口部の位置、大きさや家具の配置など、計算し尽くされた設計がなされ、庭園と建築、ファニシングから家具、タペストリーや照明類、壁面ステンシルなど、そして、マーガレットによるエンブロイドリーに至る徹底したトータルデザインが試行され、生活に関わるあらゆる部分にまでデザインが行なわれた。 
 その室内空間は、モリスと同様に自然を内部に取り込む手法で構成されているが、神秘的な森の風景とは異なり、フェミニンな庭園風景を抽象化し、バラのモチーフを多用したものであり、清らかな女性達と草原の野バラに取り込まれたようなイメージが想像できるのである。さらには、マーガレットとのコラボレーションによって、個人住宅に止まらずに当時の市民の社交場であったミス・クランストンの一連のティールームでも、建築、インテリアと家具、テーブルウエア、グラフィック、エンブロイドリー等、自然モチーフを施した彼らの芸術的手法を商業スペースにも応用し、理想とした総合的な美的調和の空間を公共空間においても見事になし遂げたのである。
 世紀末の住宅は、このようにモリスの住まいに始まり、イングランドのアーツ&クラフツの流れから、ヴォイジーの民家様式を確立し、スコットランドのグラスゴー派を代表とするマッキントッシュによって、ヒル・ハウスのトータルデザインの美的調和の空間を完成させ、ベルギーとフランスのオルタやギマールの疑似的自然の3次元的表現であるアール・ヌーヴォーへと繋がり、そして、ウィーン分離派のホフマン(Josef Hoffmann 1870~1956)の幾何学的抽象の自然と実用的形態によるパレス・ストックレー(Stoclet Palace 1905~ 1911)に見るように、彼もまた、生活に関わるあらゆるもの興味を示しデザインを行っている。また、アメリカのF.L.ライト(Frank Lloyd Wright 1867~1959)は、アーツ&クラフツの考え方を拡大し、ロビー邸(F C Robie House 1908--09)に代表される自然と一体化させた幾何学的造形の草原住宅と称するプレーリースタイルを生み、そして、有機的建築の思想に発展させて行く。
 このモリスに始まった工芸復興運動は、国境を越え、タイムラグのある時代変化と共に、様々に翻訳解釈され、各国での地域性や国民性を踏まえつつ、世界同時的に興った工芸運動として展開したと考えられ、ドイツ工作連盟やバウハウスにまで受け継がれ発展することになる。
 また、モリスのモリス商会や、マッキントッシュには、マーガレットやグラスゴー美術大学の工房的存在があり、ホフマンのウィーン工房と同様に背後にグループ組織がなければ、デザインと製作の一体化を計った質の高いクラフトや徹底したトータルデザインの密度ある住空間は、創作できなかったであろう。
 これら、従来様式の変革を可能にした要因は、アーツ&クラフツの建築家達やアーティスト達そして職人達が、従来の師弟関係のような閉ざされた社会構造を、個々の職種を越え、同盟を結び、タテ社会の構造からより民主的な横の拡がりのあるネットワークに構築する方法を彼らが持ち得たところにある。また、1900年以降の分離派とグラスゴー派の相互関係や分離派展の参加した同志としての結び付きは、その活動がウィーンにとどまらず、ヨーロッパの建築家を巻き込んだ、拡がりを視野に入れたものであった。次世代のマッキントッシュやホフマン達が、まだ保守的であったアーツ&クラフツの従来の建築家達と異なる点は、ナショナリティーを越え、行動を共にする同盟としての結びつきに彼らの非凡性がある。そして、1909年以後、ヨーロッパでライトの一連のプレーリーハウスが紹介され、世界的な広がりとなる。
  しかしながら、イングランドのアーツ&クラフツやグラスゴー派、アール・ヌーヴォーの様式は、第一次世界大戦を境に一掃されてしまい、姿を消し短命に終わってしまったのである。そして、このアーツ&クラフツの思想は、イングランドから最も地理的に遠い新興のドイツ、アメリカの20世紀の住宅に受け継がれ、新たに再生し、その後、ドイツ圏、アメリカを中心に時代は、インターナショナル・スタイルからモダニズムへと展開されて行くのである。

木村博昭  建築家、京都工芸繊維大学大学院教授


参考文献
Art & Crafts House1 Philip Webb Red House Phaidon Press Ltd 1999
CFA Voysey, Stuart Durant, Architecture MonographsNo1 Academy editions/St Martins Press 1992
Art & Crafts Architecture,Peter Davey Phaidon Press Ltd 1997
Europe: Beginning and End、展覧会カタログ、監修 鈴木博之(社)国際芸術文化振興会,1993
マッキントッシュの世界、木村博昭、コロナブック、平凡社