Column

鉄のこと_新建築jt9708より

1997.08

4つの鉄造物
 歴史家、ペブスナー(Nikolaus Pevsner)は、「モダン・デザインの源泉」(The Sources of Modern Architecture and Design)の冒頭に、1851年に開催されたロンドン万国博のパクストン(Joseph Paxton)によるガラスと鋳鉄で作られた、クリスタル・パレス (Crystal palace)を採り上げ、そして、最初の鉄造の橋梁や鉄が使われた建築、1889年のパリ万国博の機械館を紹介し、19世紀末ー20世紀建築の解説を始めている。エンジニア達が開発した技術は、建設のための手段であるが、しばしば建築の発想と創造を超え、その価値観を変えてしまう。新世紀の鉄の技術がもたらした鉄造建築の出現は、それまでの石造建築文化に対し、過去の様式を逸脱した、開放的で軽量な大空間を生み、単に建築のストラクチャーの変革に止まらず、空間の意味をも変える大変革をもたらした。現在も、新たな合金や鉄の技術開発が進められ、その可能性は、宇宙までも人類を運び、そしてそこで住まうことを可能にする程で、今後の展開も予想をはるかに超えたものとなるであろう。
 私は、スコットランドのグラスゴー大学に留学をしていた時期がある。その時、19世紀末の建築を随分と見て歩き出合ったものの中で、特に4つの鉄造物が新鮮で感動的であった、現在もその形と印象は鮮明に記憶に残っている。19世紀のグラスゴーのことや近代建築を調べ体系的に理解するにつけ、徐々にこれら鉄造の建築が、19世紀の技術革新の時代がもたらしたテクノロジーの結晶の一つではなかったかと確信し始めた。 なぜ、ペブスナーが、最初に鉄造物群を採り上げたか納得しえるのである。
 最初に、強い印象をもって鉄造の建築を意識したのは、ロンドンからスーツケースを片手に、不安と共に初めてグラスゴーのセントラル駅に降り立った時だった。それは、黒くすすけた鉄造トラスで出来たガラス屋根のうす暗く冷ややかに光が差し込む、ダイナミックな大架構のプラットホームであった。この駅舎(Glasgow Central Staition ,1884年)は、エジンバラの建築家、ロバート.R.アンダーソン( Robert Rowand Anderson, 1834-1921)設計によるもので、ビクトリア様式の厳格な石造ファサードと軽快な鉄造トラスとガラス屋根のプラットホームを組合せ、鉄道駅とホテルを併設させた当時最新のビルディング・タイプの都市建築的でモダンな概念を含ませた建築であったといえる。しかしこれも、19世紀建築の単なる一例に過ぎず、街の至る所で鉄を使った建築は見受けられたのである。
 ふたつ目の鉄造物は、それまで見たことのないダイナミックな鉄道橋で感動的であった。エジンバラ郊外に架かるファーラー&ベーカー(Jhon Fowler and Benjamin Baker)の設計によるフォース鉄道橋(Forth Railway Bridge, 2765yard, 1892年)であつた。これは、当時最大の鉄造物で、鋼管を使ったキャンチレバー方式の構造による扇子を広げたような美しい形でよく知られている。その後の調べでわかったのだが、驚いたことに、当時グラスゴー大学で学び、ファーラー&ベーカーで働いていた日本人技師の渡辺嘉一が設計に参加していたようである。
 3つ目は、グラスゴー市内の公園にあるキンベル・パレス(Kibble Palace, 1872年再建)と名付けられた、自然の厳しいこの地に作られたグラスハウスである。この建物は、全体がガラスと緩やかな曲線で作られた鉄造フレームが軽やかなサッシュフレームとガラスの被膜で覆われた、エコロジカルな人工環境を演出し、大理石の彫刻像が置かれたエレガントな温室空間で、ここで、コンサートや講演が催されていたのである。これは、設計者であるジェームス・キンベル(James Kibble,もともと造船技術者)が、クライド河港にある島の自宅の庭に1860年頃に建てたグラスハウスであったが、後にグラスゴー市に寄付し移設再建されたものであった。その仮設的なプレファブリケーション構造の捉え方、そして単純な機能美とメカニカルなイメージの形態のそのモダンさに驚くばかりである。
 最後の4つ目は、スチールシート加工で造られた蒸気機関車と蒸気船の乗り物である。発明と開発が繰り返し行われ、最高水準を誇った高度な技術である。誰しもが知る蒸気機関の生みの親である、ジェームス・ワットや蒸気機関車ロケット号のジョージ・スティーブンソン、そして、絶対温度の単位としてその名を残すケルビン郷はグラスゴーの科学者達である。当時は、新たな工業製品、そして応用技術や建築材料の研究が日夜行われていた時期であった。特に製鉄業を中心に、鉄船舶、スクリュー船等の外洋航海船は、グラスゴーを流れるクライド河で誕生し、また、蒸気機関車の発展も著しく、都市近郊の鉄道網は世界最長を誇っていた。彼らは、単なるエンジニアであるというよりも、オールマイティーの科学者であったと思えるのである。これまで、これらの鉄造物を何度か見る機会があった。そのどれもが、技術の素晴らしさだけでない、身体的な実感を伴ったパトス的感動があり、さらには、夢とロマンを語りかけ、想像力を十分に駆り立ててくれる形態であったように覚えている。
 これらの鉄造物は、モダニズムの機能美や構造美と共に建築本来の大切な役割でありながらしばし忘れていた、思想の根源にもつながる、フロンティアやピューリズム精神というものを再確認させてくれる。そして、人類の夢をより実現へと、またユートピア社会へと導き築こうとする意志の存在を伺うことができる。しかしこれらの設計者は、それまでのアカデミックな建築家教育を受けた正統派の建築家ではない19世紀のエンジニア達であった。そして、後に、ガラスと金属を多用した建築を手掛けた、E・オーエン・ウイリアムズ(E.Owen Williams,1890-1969) やジャン・プルーヴェ(Jean Prouve,1901-1984 )も同じく、彼らは、エンジニアであることを自認していた。ピーター・ライスは、彼の自伝のなかで、プルーヴェは20世紀に登場した、天性のエンジニアだと賞賛している。
 19世紀末ー20世紀に著しい発展を遂げるのは、とくに当時新素材であった押出し成形のアルミシートとスチールシートを使った金属の乗り物であり、機械がかつてこれほどに飛躍し、また建築に影響を及ぼした時代はない。さらに、蒸気船、機関車、自動車、飛行機は、単に人を輸送する目的だけでなく、人類の夢とユートピアの扉を開き、モダニズムの重要な拠り所であったといえる。ル・コルビュジェは、自動車を時代の象徴とし、ギリシャ神殿と対比させながら、住宅を住むための機械と評し、建築を乗り物に見立てながら、古典建築に無い未来の夢を託そうとした。それまでの自然と対立する建築に対し、乗り物は自然に対立的であるが人の機能拡張をうまく補い、一方で人工自然を目指し、ちょうど19世紀末アール・ヌーボーの自然系を求めたエコロジーと機械社会を築いたテクノロジーの両者を取り合わせた有機的関係と形態をうまく築いたといえるだろう。 

4つのスチールシートの住宅
 建築の材料や構造は、当然状況によって適材適所の選択を行うのだが、どちらかといえば鉄骨造のもの、そして工業製品や鉄を内外装材に使用することが私は多い。例えば、身の回りの我々の環境には、建築物はむろんのこと、手に触れる電化製品や日用品から乗り物に至るものまで、鉄材が何の抵抗もなく日常的に使われている。それは恐らく、これまで述べた鉄の建築が現れた19世紀末からモダニズム建築の歴史的線上の継承と影響でもあろ。鉄は、時代性、工業化、加工性など、モダニズムの建築を構成する3つのマテリアルの中で、コンクリート、ガラス、に比べると、汎用に優れ、建築への応用と可能性を秘めた、心惹かれる材料であると思っている。 
 4つのスチールシートの住宅は、個々それぞれにその特性を生かし、異なった表情を持つている。最初にスチールシートを使つたA House は、内外を隔て連続させる被膜装置となるファサードに、スクリーン状のマスクを被せ、スポーティな車のような表情を持つ。3in1 House では、鉄の可塑性を生かし、3つの住戸をスチールシートでひと塊のボリュウムに包み込む、一体感ある戸建タイプの集合住宅ができた。その曲面形態は、流体学を駆使した流線型の乗り物を想起させ、自由な形態選択の可能性と、何かしら夢とロマンのある形態イメージを感じさせる。また、N's A rk は、震災後の新たな船出の箱船をイメージし、ここではスチールシートの外壁で、防御的に内庭を囲み静かな環境が確保され、通りに閉され、庭に開かれた二面性のある住宅ができた。4つ目の1/4 Circle・Houseでは、恵まれた眺望を生かす爲、ガラスボックスの中庭と対のスチールシートの構造により超横長の開口部の、パノラマ・ビスタを確保する事ができた。まるでヨットの船上から、海に浮かぶ島々を眺めていえるような不意気がある。 これらスチールシートを外皮に使た住宅は、客船のようにそれ自体が外装材と構造材を兼ねた一枚のスチールシートで包み、建物本体とは別に、外皮が自立するモノコック的構造を試みた構造体である。乗り物は、強い外皮とより軽量な面構造の一体型のモノコック構造によるのが普通である。それは、建築と比べれば形態の自由度、さらにその強度は遥かに強く耐久性も十分に確保されている。スチールシートの採用は、建築の形態や構造的制約に縛られないひとつの試みでもあるが、さらに、加工性や精度の確かさ、手の掛かる現地加工から、近年、建築自体が軽量化と工業化によってプレファブ化とモデュール化は進み、プロダクト化への傾向も避けられれないからである。
 乗り物は人の機能拡張機関であり夢を与える、当然機械仕掛けで動くのだが、動きという点で生体物の自然系に近い形態イメージで形作られているように思う。同様に建築空間も単なる自然から身を守るシェルター機能だけでなく、乗り物のような人の機能拡張を補い夢を与える快適空間であるべきと考えている。近頃、我々のモノの見方や考え方自体、情報過剰ゆえに選択と分節的に整理されるか、または分裂的にならざるえないが、そこで境界を定めない一体性は、時代が求められているキーワードでもあるだろう。建築の形態自体、“集積的構成”よりも単純な自然系に近いモノコック的な“一体的構成”へと還元されて行くかもしれない。