Column

ネクスト・パイオニア

2011.10

“U— 30 Architects exhibition 2011”
 大阪南港にあるATC(アジア太平洋トレードセンター)odp ギャラリーでU-30の展覧会とシンポジュームが行われた。主催は、npo法人のAAF(Art&Architect Festa)である。近頃関西で積極的に、若い建築家達のイベントを支える活動を行っている団体である。主催者代表も20代であり、関西の建築界にとっては、大変心強くこれからも期待の出来る団体である。
 やはり、学生たちや恐らく大学院生たちで、会場はいっぱいであった。久々に多くの建築学生たちが集まるイベントに参加した。シンポジュームが行われた500名の会場も、満員であった。それだけ、若い世代への関心と期待の高さが伺える。
これ程のイベント規模で20代の建築家達の作品を発表する場は、関西では且つてなかったであろう。
 U-30の作品展は、公募と推薦で選抜された7作品が、次の順路で会場に展示され、加藤比呂史 ヴィクトリア・ディーマーの北欧特有の週末住宅であるコロニーガーデンハウスというLucky House / Osaka Garden House、大西麻貴の螺旋状の空間のある小さな住宅、二重螺旋の家 double helix house、瀬戸口洋哉ドミニクの瀬戸内海とポーランドの自然敷地に囲まれたに住宅、島と梅の家・Samsonowの村、そして、米澤隆の多種多様な物語が同時多発的に存在するパラコンテクスト アーキテクチャー、金野千恵のロッジアと呼ぶ屋根付き外部空間がある住宅の向陽ロッジアハウス Sunny Loggia House、増田信吾 大坪克亘の感性と構造体が連続する、小さな部屋 a small room、海法圭の巨大な膜状の構築物を浮遊させる、空飛ぶマンタ Fly Manta to the Universe等、各自が作品模型を中心に、エネルギーを惜しまず新たな建築への追求を空間表現として展示されていた。やはり、全体的な印象として、プロジェクトへの内容の新鮮さや驚きよりも、巧さと賢さが目を引いた。
 自分の20代の時代を考えると、建築への新しいものを求めていた事は確かであるが、しかしまだ、不器用さと、全く先が見えず、自分が作るものに全く自信が持てなかったのも事実である。
 
“U−30記念シンポジュームII”
 前日の秋分の日の休日に、伊東豊雄と倉方俊輔の記念シンポジュームIがあり、今回、残念ながら参加出来なかった。翌日、引き続き、記念シンポジュームIIが開催された。このシンポジュームは、U-40とU-30を交え、休憩を挟みながらも、実に長い4時間半のシンポジュームが開催された。最初に、U-40の谷尻誠、藤本壮介、平沼幸啓、平田晃久、五十嵐淳の順番で、彼らがU-30に考えていた事たしていた事を話し、U-30の彼らの作品プレゼンが行われ、第3部に、五十嵐太郎の進行で、互いを交えトークセッションが行われた。
 確かに、既に、現在一線で活躍しているU-40の彼らの悶々とし格闘していた20代の話は、内容的にも大変面白いかったし、彼らの今は、20代の時代に確立されたもので、現在も変わらない。総体的話の内容は、U-40の彼らが、U-30に喝を入れ、確かにいい意味でも、悪くもUー40のゲスト達の影響や時代の方向性を敏感にシンクロナイズ出来るは、彼らに違いない。
 さらには、彼らの興味に対する建築的視点はそれなりに在っても、これからのビジョンの不在が気になった。次世代の彼らが、活躍しないと、建築界は益々沈滞してしまう。普通、建築界のデビューは、U—40でも早く、多分、今回取り上げられたUー30の建築家達には、まだ、10年間の余裕があり、十分に自分のビジョンを熟成させる時間があり、全く焦る必要もなかろう。
 
“若者は野蛮であれ”
 もう10年前近くに成るが、篠原一男の恐らく最後であろうを講演会聞いた。全くスライドの無い講演会で、講演の最後に学生達に“若者は野蛮であれ”野蛮でいいと。恐らく、時代を切り開く突破口は、理性的ものよりも、パドス的なもがきや叫びの中で建築の可能性あるのだろうと理解した。
U−30の時代は、丁度、現実が見え始め、建築との格闘する中で、彼らのその後の経験の蓄積により、未熟さはやがて、よりリアリティーのある建築に昇華されるはずであり、期待したい。      
木村博昭 (建築技術 原稿)