クライアントは、19世紀末のヨーロッパアールヌーボー家具やオブジェクトのコレクターである。そして大正末期の木造家屋の町家を購入し、このコレクションたちに囲まれ、実際に使用する家具として楽しむ生活を望んでいた。この異質な組み合わせのギャラリー的特性と、一方で住まいの実用性を合わせ持つ事がプロジェクトのテーマであった。
しかし、日本町家とアールヌーボー様式のオブジェクトとは一見、異質のようだが、元々、19世紀末の技術革新の時代にあり、自然復興を提唱したW モリスから始まるアーツ&クラフツの日本的影響からアールヌーボー運動が始まる事は、近年の歴史研究からも明らかにされている。大正初期に工業化が進む日本でも自然思考の民芸運動が興り、時代性としてインターナショナルに共感できた時代でも在った。何かしら、アールヌーボーに日本人が心引かれる由縁かもしれない。
元々この町屋は、母屋部分が3間間口奥行き6軒で、一階には表通りから4.5畳、6畳、床のある8畳の続間と裏庭に続く通り土間があり、二階に、板間と6畳2間の続間がある。奥には大き目の物置倉庫と細長く奥に拡がる庭があり、その間に坪庭と井戸のある水回りがあった町家である。この町家の原型を保ち、家が持つ時代的雰囲気を残し、元々在ったような新旧の区別が明らかにならないように手を入れた。
居間となった奥の物置倉庫の傷んでいた建屋は、全面的に構造補強を行い、新たに土間部分の2階の寝室に繋がる階段、木と石とガラスと鉄のフレームで構成されたコンサバトリーのダイニングとキッチンを設けた。そしてこの住宅の最も大切な中心には、地元の竜山石による沈黙の石庭の中庭がある。大正時代の寂れゆく町屋と石庭、そしてアールヌーボーの家具の異質な混成により日本人がいつしか置き忘れてきた雅やかさや物静かな気高い精神性が寂れゆく町家を再び蘇らせた。