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鉄の民家 この民家は、大阪近郊に残っていた貴重な民家である。これまで、幾度となく増改築が行われ、骨格と外観正面を除けば原型をとどめず、室内も新建材で改装されてしまっていた。残された資料も無く、建築主の記憶の聞き取りと建物調査から、増改築の痕跡を探り原型の復元に努めた。建設年代は、屋根裏から御弊が発見され、上棟は大正14年(1925年)11月とわかり、そして、古い土壁に貼られた昭和4年の新聞片も発見された。その壁面はガラスで覆い「痕跡」として保存した。全体は、改修と補強を行ったこの原型となる民家部分と、新たに改修築したスチール・シートで包まれた寝室とサニタリー部分、そして、和室の庭に設けられた小さな離家の茶室の3つに区分することができる。そして、この民家の木造部分とスチール・シートによって改修築された部分の間に、トップライトのある通り土間廊下を土間のリビング+キッチンを設けた。このインターフェイスとしての土間空間を挿入することによって、環境調整を伴う光と風抜きのパッシブ的役割も担い、また、空間の新旧のメリハリと分節しながらも全体の各室を結び付け、昔乍らの和の生活と現代生活をうまく融合し、蘇生できたと考えている。<br /><br />スチール・シートによって改修築された部分は、t=9mmのスチール・シートで寝室とサニタリーを包むように囲っている。長筒状のフラットルーフの形状で、木造の民家部分とは対照的に車両が停車したように見える。既存の柱梁を取り替え、スチール・シートによって補強し、既存の柱間と合わせた半間間隔(960mm)にアングル型鋼をリブ状に建て、それを溝型鋼で門型につなぎ連続させている。この工法は、鉄船舶の居住部などを建造する工法と同じで、建築が柱梁に頼らない、より軽快なリブ構造によってモノコック建築の試みである。そして、土間廊下は、構造的緩衝体となり、民家部分の木造とこのモノコックの異種構造を力の伝達の少ないトップライトで繋いでいる。全体のディテールは、空間に突起部分のないできるだけ平滑でスッキリと格納した、何でない納まりとなるように考えた。鉄の民家 この民家は、大阪近郊に残っていた貴重な民家である。これまで、幾度となく増改築が行われ、骨格と外観正面を除けば原型をとどめず、室内も新建材で改装されてしまっていた。残された資料も無く、建築主の記憶の聞き取りと建物調査から、増改築の痕跡を探り原型の復元に努めた。建設年代は、屋根裏から御弊が発見され、上棟は大正14年(1925年)11月とわかり、そして、古い土壁に貼られた昭和4年の新聞片も発見された。その壁面はガラスで覆い「痕跡」として保存した。全体は、改修と補強を行ったこの原型となる民家部分と、新たに改修築したスチール・シートで包まれた寝室とサニタリー部分、そして、和室の庭に設けられた小さな離家の茶室の3つに区分することができる。そして、この民家の木造部分とスチール・シートによって改修築された部分の間に、トップライトのある通り土間廊下を土間のリビング+キッチンを設けた。このインターフェイスとしての土間空間を挿入することによって、環境調整を伴う光と風抜きのパッシブ的役割も担い、また、空間の新旧のメリハリと分節しながらも全体の各室を結び付け、昔乍らの和の生活と現代生活をうまく融合し、蘇生できたと考えている。<br /><br />スチール・シートによって改修築された部分は、t=9mmのスチール・シートで寝室とサニタリーを包むように囲っている。長筒状のフラットルーフの形状で、木造の民家部分とは対照的に車両が停車したように見える。既存の柱梁を取り替え、スチール・シートによって補強し、既存の柱間と合わせた半間間隔(960mm)にアングル型鋼をリブ状に建て、それを溝型鋼で門型につなぎ連続させている。この工法は、鉄船舶の居住部などを建造する工法と同じで、建築が柱梁に頼らない、より軽快なリブ構造によってモノコック建築の試みである。そして、土間廊下は、構造的緩衝体となり、民家部分の木造とこのモノコックの異種構造を力の伝達の少ないトップライトで繋いでいる。全体のディテールは、空間に突起部分のないできるだけ平滑でスッキリと格納した、何でない納まりとなるように考えた。鉄の民家 この民家は、大阪近郊に残っていた貴重な民家である。これまで、幾度となく増改築が行われ、骨格と外観正面を除けば原型をとどめず、室内も新建材で改装されてしまっていた。残された資料も無く、建築主の記憶の聞き取りと建物調査から、増改築の痕跡を探り原型の復元に努めた。建設年代は、屋根裏から御弊が発見され、上棟は大正14年(1925年)11月とわかり、そして、古い土壁に貼られた昭和4年の新聞片も発見された。その壁面はガラスで覆い「痕跡」として保存した。全体は、改修と補強を行ったこの原型となる民家部分と、新たに改修築したスチール・シートで包まれた寝室とサニタリー部分、そして、和室の庭に設けられた小さな離家の茶室の3つに区分することができる。そして、この民家の木造部分とスチール・シートによって改修築された部分の間に、トップライトのある通り土間廊下を土間のリビング+キッチンを設けた。このインターフェイスとしての土間空間を挿入することによって、環境調整を伴う光と風抜きのパッシブ的役割も担い、また、空間の新旧のメリハリと分節しながらも全体の各室を結び付け、昔乍らの和の生活と現代生活をうまく融合し、蘇生できたと考えている。<br /><br />スチール・シートによって改修築された部分は、t=9mmのスチール・シートで寝室とサニタリーを包むように囲っている。長筒状のフラットルーフの形状で、木造の民家部分とは対照的に車両が停車したように見える。既存の柱梁を取り替え、スチール・シートによって補強し、既存の柱間と合わせた半間間隔(960mm)にアングル型鋼をリブ状に建て、それを溝型鋼で門型につなぎ連続させている。この工法は、鉄船舶の居住部などを建造する工法と同じで、建築が柱梁に頼らない、より軽快なリブ構造によってモノコック建築の試みである。そして、土間廊下は、構造的緩衝体となり、民家部分の木造とこのモノコックの異種構造を力の伝達の少ないトップライトで繋いでいる。全体のディテールは、空間に突起部分のないできるだけ平滑でスッキリと格納した、何でない納まりとなるように考えた。鉄の民家 この民家は、大阪近郊に残っていた貴重な民家である。これまで、幾度となく増改築が行われ、骨格と外観正面を除けば原型をとどめず、室内も新建材で改装されてしまっていた。残された資料も無く、建築主の記憶の聞き取りと建物調査から、増改築の痕跡を探り原型の復元に努めた。建設年代は、屋根裏から御弊が発見され、上棟は大正14年(1925年)11月とわかり、そして、古い土壁に貼られた昭和4年の新聞片も発見された。その壁面はガラスで覆い「痕跡」として保存した。全体は、改修と補強を行ったこの原型となる民家部分と、新たに改修築したスチール・シートで包まれた寝室とサニタリー部分、そして、和室の庭に設けられた小さな離家の茶室の3つに区分することができる。そして、この民家の木造部分とスチール・シートによって改修築された部分の間に、トップライトのある通り土間廊下を土間のリビング+キッチンを設けた。このインターフェイスとしての土間空間を挿入することによって、環境調整を伴う光と風抜きのパッシブ的役割も担い、また、空間の新旧のメリハリと分節しながらも全体の各室を結び付け、昔乍らの和の生活と現代生活をうまく融合し、蘇生できたと考えている。<br /><br />スチール・シートによって改修築された部分は、t=9mmのスチール・シートで寝室とサニタリーを包むように囲っている。長筒状のフラットルーフの形状で、木造の民家部分とは対照的に車両が停車したように見える。既存の柱梁を取り替え、スチール・シートによって補強し、既存の柱間と合わせた半間間隔(960mm)にアングル型鋼をリブ状に建て、それを溝型鋼で門型につなぎ連続させている。この工法は、鉄船舶の居住部などを建造する工法と同じで、建築が柱梁に頼らない、より軽快なリブ構造によってモノコック建築の試みである。そして、土間廊下は、構造的緩衝体となり、民家部分の木造とこのモノコックの異種構造を力の伝達の少ないトップライトで繋いでいる。全体のディテールは、空間に突起部分のないできるだけ平滑でスッキリと格納した、何でない納まりとなるように考えた。鉄の民家 この民家は、大阪近郊に残っていた貴重な民家である。これまで、幾度となく増改築が行われ、骨格と外観正面を除けば原型をとどめず、室内も新建材で改装されてしまっていた。残された資料も無く、建築主の記憶の聞き取りと建物調査から、増改築の痕跡を探り原型の復元に努めた。建設年代は、屋根裏から御弊が発見され、上棟は大正14年(1925年)11月とわかり、そして、古い土壁に貼られた昭和4年の新聞片も発見された。その壁面はガラスで覆い「痕跡」として保存した。全体は、改修と補強を行ったこの原型となる民家部分と、新たに改修築したスチール・シートで包まれた寝室とサニタリー部分、そして、和室の庭に設けられた小さな離家の茶室の3つに区分することができる。そして、この民家の木造部分とスチール・シートによって改修築された部分の間に、トップライトのある通り土間廊下を土間のリビング+キッチンを設けた。このインターフェイスとしての土間空間を挿入することによって、環境調整を伴う光と風抜きのパッシブ的役割も担い、また、空間の新旧のメリハリと分節しながらも全体の各室を結び付け、昔乍らの和の生活と現代生活をうまく融合し、蘇生できたと考えている。<br /><br />スチール・シートによって改修築された部分は、t=9mmのスチール・シートで寝室とサニタリーを包むように囲っている。長筒状のフラットルーフの形状で、木造の民家部分とは対照的に車両が停車したように見える。既存の柱梁を取り替え、スチール・シートによって補強し、既存の柱間と合わせた半間間隔(960mm)にアングル型鋼をリブ状に建て、それを溝型鋼で門型につなぎ連続させている。この工法は、鉄船舶の居住部などを建造する工法と同じで、建築が柱梁に頼らない、より軽快なリブ構造によってモノコック建築の試みである。そして、土間廊下は、構造的緩衝体となり、民家部分の木造とこのモノコックの異種構造を力の伝達の少ないトップライトで繋いでいる。全体のディテールは、空間に突起部分のないできるだけ平滑でスッキリと格納した、何でない納まりとなるように考えた。

鉄の民家

2004.02-04.11

この民家は、大阪近郊に残っていた貴重な民家である。これまで、幾度となく増改築が行われ、骨格と外観正面を除けば原型をとどめず、室内も新建材で改装されてしまっていた。残された資料も無く、建築主の記憶の聞き取りと建物調査から、増改築の痕跡を探り原型の復元に努めた。建設年代は、屋根裏から御弊が発見され、上棟は大正14年(1925年)11月とわかり、そして、古い土壁に貼られた昭和4年の新聞片も発見された。その壁面はガラスで覆い「痕跡」として保存した。全体は、改修と補強を行ったこの原型となる民家部分と、新たに改修築したスチール・シートで包まれた寝室とサニタリー部分、そして、和室の庭に設けられた小さな離家の茶室の3つに区分することができる。そして、この民家の木造部分とスチール・シートによって改修築された部分の間に、トップライトのある通り土間廊下を土間のリビング+キッチンを設けた。このインターフェイスとしての土間空間を挿入することによって、環境調整を伴う光と風抜きのパッシブ的役割も担い、また、空間の新旧のメリハリと分節しながらも全体の各室を結び付け、昔乍らの和の生活と現代生活をうまく融合し、蘇生できたと考えている。

スチール・シートによって改修築された部分は、t=9mmのスチール・シートで寝室とサニタリーを包むように囲っている。長筒状のフラットルーフの形状で、木造の民家部分とは対照的に車両が停車したように見える。既存の柱梁を取り替え、スチール・シートによって補強し、既存の柱間と合わせた半間間隔(960mm)にアングル型鋼をリブ状に建て、それを溝型鋼で門型につなぎ連続させている。この工法は、鉄船舶の居住部などを建造する工法と同じで、建築が柱梁に頼らない、より軽快なリブ構造によってモノコック建築の試みである。そして、土間廊下は、構造的緩衝体となり、民家部分の木造とこのモノコックの異種構造を力の伝達の少ないトップライトで繋いでいる。全体のディテールは、空間に突起部分のないできるだけ平滑でスッキリと格納した、何でない納まりとなるように考えた。

所在地
大阪府
延床面積
176㎡
敷地面積
830㎡
建築面積
183㎡
構造
木造+鉄骨造 地上1階
撮影
杉野圭