私自身、旅の傍ら教会をおつずれることが多い。街の象徴として、歴史、人々の営みの結晶なるものとして、無言ながら語りかけて来る。そして、無機質な石の素朴さや冷ややかな沈黙のその緊張感に触れた時、神聖さと生命の尊厳を感じる。神戸新生バプテスト教会は、元々、牧師住宅に併設された小さな礼拝所であった。しかし、アメリカに本部を置く団体の撤退方針に伴い売却され、残された信者達によって、牧師が居ないまま自立再建を余儀なくされた。そして、支援者達と学生ボランティアを含めワークショップ方式によるもので、実現に向けての資金調達、形が見えない計画段階から実際の具現化に至る、その方法論を導き出して行くプロジェクトでもあった。
この鉄の教会は、礼拝堂とその下階に事務と集会機能を併設させた施設である。厳しいコスト制約の為、ほぼ直営に近い方式で建設は進められた。そして、構成部材を単純化させ、仕上げ材を省き、建築躯体のスケルトンの状態で必要機能が成立する方法を探った。礼拝堂部は、内外そのままのスチールシート外皮が構造体と一体と成ったモノコック造である。そして、棟上部にスーリッド開口を設け、足元のコンクリートの逆梁とスチールシート壁面の隙間に風抜き設け煙突効果の自然換気を可能にした、躯体と一体となったサスティナブルな建築形態でもある。また、その両妻面は、透明度の高いイタリアンガラスブロックを使い、構造体として自立し、壁体自体が光を透過させ、壁面と一体の正面戸を設けた。そして、集会室もまた、内外がコンクリートの塑性を生かしたボルト天井で、躯体が仕上がりである。元々、鉄もガラスも鉱石であり、鉄とガラスは石の結晶の産物である。そして、豊かな現代に在りながら、あえてと照明のない自然光と蝋燭の灯りによる、プリムティブで冷ややかな沈黙さと禁欲的な空間をこの鉄の教会に求めた。
木村博昭